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  • 執筆者の写真Tomokazu Ichikura

痛み

一言で「痛み」といっても西洋と東洋で違っており、なかなか興味深いものがあります。

歴史的にみてみると、西洋は「神に背いた罪に対する罰」であったものから解剖学的にアプローチがされて「有害環境からの警告系」であると捉えられ発展してきました。バビロニア人は、痛みを伴う病気はすべて罪の報いで、悪魔あるいは、魔神の呪いとみなしていたようです。キリストが磔の刑に処され、それが崇拝の対象になっています。

一方で、東洋は程度の激しさを示すもので「罰」というものはなかったと言います。日本での「痛み」は「(仏の最高ランクの)如来(にょらい)の悲しみ」であると説かれ、ココロを開くことで痛みが癒されていくものとされ「薬師如来(やくしにょらい)」が造像されて祈願されてきました。

ちなみに、漢字で「痛」をみてみると、病気を意味する「(やまいだれ)」と、「(つく)」という意味をもつを合わせたもので、「突き刺されたように痛む」という意味です。


では、「痛み」そのものですが、

西洋医学では、2020年に国際疼痛学会(こくさいとうつうがっかい)(以下、IASP)で

『実際の組織損傷もしくは組織損傷が起こりうる状態に付随する、あるいはそれに似た、感覚かつ情動(じょうどう)の不快な体験』

と定義し、注釈(ちゅうしゃく)で「1)痛みは常に個人的な経験であり、生物学的、心理的、社会的要因によって様々な程度で影響を受けます。」「5)痛みは、通常、適応的な役割を果たしますが、その一方で、身体機能や社会的および心理的な健康に悪影響を及ぼすこともあります。」と補足しています。

「痛み」というものが「カラダだけでなく、ココロやハラスメントを始めとする他者との関わり」が関わっていることがわかります。


東洋医学は昔から「心身一如(しんしんいちじょ)」という「ココロもカラダも一つである」という考えを持っていました。カラダの問題はココロにも影響があり、またココロの問題があるとカラダに影響がでてくるというわけです。

国際疼痛学会(IASP)の痛みが社会までを包括的に捉えている一方で、東洋医学は個人のカラダとココロに帰しています


さて、東洋医学の痛みの原因ですが、2つのパターンがあります。

ひとつは、『不通則痛(ふつうそくつう)』という「気血が十分に通じてない(渋滞している)から痛む」。

もう一つは、『不栄則痛(ふえいそくつう)』という「十分に栄養されないから痛む」というものです。


その痛みの2つのパターンを寒(かん)(冷えて痛む)、熱(ねつ)(火照(ほて)って痛む)、虚(きょ)(しくしく痛む)、実(じつ)(するどく痛む)と分けて、通ってなければ通すようにして、栄養されてなければ栄養するようにしなければいけません。痛いから鎮痛剤を服用するだけでは足りないのです。


気血水のバランスをとるように状態を観察しながら、鍼灸は鍼を刺したり灸を据えたり、漢方は生薬(しょうやく)を選択し方剤(ほうざい)を処方します。そして、推移を確認しながら調節をしていくことによって、オーダーメイドの治療ができるようになっていくと、次第に痛みから解放されるようになります。


【参考】

痛みの伝導路-歴史から学ぶ-』 小山なつ 等誠司 脊髄外科vol.29 No.3 2015年

『角川新字源 改訂版』46版 小川環樹 西田太一郎 赤塚忠 角川学芸出版

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