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  • 執筆者の写真Tomokazu Ichikura

『医心方(いしんほう)』のはなし

 『医心方(いしんほう)』は、日本で最古の医療書で、982年に選びはじめ、2年後に完成し、円融天皇(えんゆうてんのう)に献上されました。30巻からなる文字通りの巻物です。100を超える南北朝時代からの方術の書から隋や唐の医学書をまとめたもので、内容は総論からはじまり、鍼灸、内科、外科、製剤(薬学)、産婦人科、小児科、養生(ようじょう)、房内(ぼうない)(性医学)というものです。

 この編集を小曽戸洋(こそとひろし)日本医史学会前理事長(北里大学東洋医学総合研究部前部長)は、即応性、実用性を重んじた日本の個性が反映していると評価しています。


 和気清麻呂(わけのきよまろ)の子・広世(ひろよ)から宮廷医であった和気(わけ)氏(半井(なからい)氏)と『医心方』で宮廷医になった丹波(たんば)氏(多紀(たき)氏)という和丹二家と呼ばれる間で安政本(あんせいぼん)が刊行されるまで争奪戦があったと言います。

(余談ですが、宮廷の秘典(ひてん)となっていたはずが、道長の子・藤原頼道が宇治の平等院に所蔵していました。(宇治本))


 1546年、丹波家本家が断絶したことで、織田信長が上洛するころ(1568年)には『医心方(いしんほう)』は半井(なからい)氏の所有となります。


 1820年、1826年と江戸幕府によって差し出すように命令が下ったものの焼失したと言って拒絶しましたが、1854年についに折れて1か月の貸与(結果は3か月以上)ということで交付し、木版で製本化されて世に公開されました。(安政本)


 明治39年(1906年)になって日本医史学会の創始者である土肥慶蔵(どひけいぞう)、呉秀三(くれしゅうぞう)、富士川游(ふじかわゆう)の3名の教授で金港堂書店(きんこうどうしょてん)から活字本となり刊行されたものの、房内篇(ぼうないへん)が収められていたために風紀を乱すものとして発行禁止処分を受け、「金港堂事件」として世を騒がせました。なお、安政本は江戸城内の楓山文庫(もみじやまぶんこ)に保管され、宮内庁書陵部(くないちょうしょりょうぶ)に保管されるようになりました。


一方で、安政本以降は秘蔵されていた半井本(なからいぼん)は、1982年、半井氏から27億円で買収し文化庁に入りました。


 それだけ医療は非常に限られた人間だけのものだったのです。何百年と続いたその秘伝書の所有権争いに終止符が打たれ、情報が開示されたこと、さらには、その後に医療制度が整えられ、いつでも医療を受けられる今、良い時代に生きているのだと思います。


〈参考〉

『医心方』事始 藤原書店 槇佐知子

医心方 至文堂 鎌田正 中村俊也 高島文一

針灸の歴史  大修館書店 小曽戸洋 天野陽介

漢方の歴史 あかし出版 三室洋

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